ネオ・マテリアルガールのすすめ

「どっちにもいける」いち女子のブログです。

ローティーンのファッション【どっちにもいけないファッション】

こんばんは。

年の瀬いかがお過ごしでしょうか。

 

自分は28日が仕事(バイト)納めで

昨日まで数日間大掃除とあとは

買い納めということで古着屋巡りをしていました。

 

それで今日は体調を壊して

今日明日と『こち亀』を読み進めようという魂胆です。

 

少しずつ「どっちにもいけない」の実態を

解体して気の向くままにアップしていくにあたり

どこから手をつけようかというのは

もちろん悩むのですが

まずはここまでの経緯を順を追っていこうかと

 

というわけでローティーンから話は始まります。

 

まず小学校高学年、こんな感じでした。

 

・バスケ部所属

・好きなブランドはBETTY'S BLUE

・雑誌はnicola

・図書館のアガサ・クリスティを読破

・日々の日課は友達(または友達の姉(腐女子))と絵付きの文通

・昼休みはその友達と図工室にこもって模造紙に落書きして遊ぶ

・”相方”と「ペーパー」(イラスト通信みたいなやつ)作り(自分は2回参加で終了)

・先輩とマンガ合同誌を作る(自分は2回参加で終了)

 

今思うとけっこうバランスとれてた気がする。

 

ファッションにも興味があった

夢中になれることもあった(マンガ絵を描くこと)

読書もそれなりにしていた

 

でも下の項目ふたつの()が気になるね。

そうここから予兆は始まっていたのです

始めても続かないという予兆が。

 

そして近いうちに

大切な夢中になれるものを手放してしまうことに。

 

その理由は簡単でした。

腐女子になれなかったこと

可愛くなりたい、否、モテたかったから

です。

 

ここから素直に咲くことのできない思春期が始まっていくわけであります。

 

音楽と男、この2つの要素は思春期に多大な影響を及ぼします。

あまりに多大であるため、またの機会に書くとして、

今回は中学生までのファッション趣向遍歴を簡単に。

 

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片田舎在住も手伝って、誰もが一度は通る道をすくすくと通りました。

 

時は2004年より。

(適当に年齢を書いてしまったため間違いがあるかもしれませんすみません)

 

「モノトーンの服しか着ない。アンチCOCOLULU!」

と当時なりにこだわりがあったような感じで

me janeとかマジョレナとか着てました。

Hana*chu→』を鼻で笑いながら”ポップ”読む、みたいなね。

とにかくプリクラ全盛期だったのでいかに可愛く写るかしか考えてなかったな。

 

そうして気づくんですよね、

チビにお姉な服は似合わないって。

(筆者は151センチです)

 

身長について書くと、

あー先が読めたぞ、となってしまうかもしれませんね

 

案の定「個性的」という魔の言葉に取り憑かれてしまうんですよ。

 

あれは中学2年の修学旅行。

はじめて「ハンジロー」に行きました。イン京都。

そしてそこから受験期まで数ヶ月に一回、片道1時間半かけて

原宿竹下通りにお世話になることになるんですよね。

ああなんて典型的なんだ。ある意味子供らしい。

 

だけど決して極めることはなかったんです。

どちらのジャンルもね。

全身アイテムの基盤がそろう前にやめちゃうというか

そもそも買い方にも問題があって

ワンピとか一点ものばっかり買っちゃうみたいな。

 

あとは男が絡む度(フラれると)

「浄化」と称してクローゼットを一掃していたので

服がなかなかそろわなかったんですよ。。

(この習慣は10代でやめましたが)

 

ともあれともあれ

こうしてなんの積み重ねもないまま、

高校時代に突入していくわけです。

 

あ、ちなみに古着屋を巡ってるからといって

今の自分がバキバキの青文字女子かと言ったらそうでもありません。

おはずかしや。

 

それでは続きはまた後日。