ネオ・マテリアルガールのすすめ

「どっちにもいける」いち女子のブログです。

茶番の楽しみ方 【どっちにもいけない生活】

 

 
昨日は久しぶりに1日休む日にして
 
 
 
ずっとごろごろ、
おやつ摘みながら『焼き立て‼︎ジャぱん』を観て笑って過ごしていました
 
 
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久しぶりに自分へのノルマを
ひとつもこなさず
ただただ快なものへ向かっていたわけです
 
 
やっぱりたまにはいいなぁって。
 
 
 
映画も音楽もなんでも
茶番と言ってしまえばみんなそうで
 
 
自分がテレビがあまり好きではないのは
わかりやすい露悪な茶番だからで
それも単に好みの差なんでしょう
 
 
好きな茶番を楽しんで全力で休む日、
ですね、
そういう休み方がいいのかなと
 
 
テレビは他人の物語の消費を提供します
持続性も奥行きもない茶番
ながら観で消費できるレベルのもの
 
 
じゃあ本や映画や音楽は違うのか?
自分はそれらの体験は
おもちゃになって自分に蓄積されると
思っています。
 
 
とはいえ、
茶番には変わりありません。
 
だから好みの違い、
愛情の違いだと思いますね、
 
 
たしかに直接人と会話するのは
たのしいことです
 
そういったライブ感のために
ひとに会いにいくのは
ちょっとズレていると思うので
 
 
自分の愛する茶番(ファンタジー)と
周りの人を尊重すること
この間を良いバランスで行き来することが
生活なんだと思います。
 
 
どっちも世界を豊かにするためには、
大切な要素です。
 
 
だから自分がコントロールできる部分は
コントロールしたい
 
 
触る茶番はちゃんと選びたい。
もっとしっかりいうと、
あきらかにいらないものは省く。
 
 
 
仕事では効率化を図るのに
家で1時間も2時間も
嵐の活躍をみて、
凶悪事件の真相を知る必要があるのか。
 
 
 
 
 
一度家を離れて
そういう惰性から自然に離れても
家庭を持ったらまた習性が
顔を出すのかと思うと
かなしいことだなと思います
 
 
 
その時事ネタは必要なものですか?
思考に値しますか?
 
 
 
 
平和ボケの時代が
自然に終わってきてると感じているので
悪化はしないと思いますが
 
対象が「作品」になれば消費も
自分のラベルになる時代です。
 
 
ギークが飽和してる時代です。
 
 
だからこそ愛情が試されてる。
 
 
 
自分が親になったときには
惰性な習慣を子供に刷り込みたくないな
と思っています。
 
 
 
 
なんとなくの消費が一番怖いです。
 
 
 
ちなみにテレビが好きな人からは
「なにも考えずに観れるからいい」
という感想を聞きました
 
 
感じている気持ちは一緒なので
 
 
心の満足度が一緒なら
コンテンツの内容は好みなのかなと
思ったのでした。
 
 
 
ともかくバシッと楽しみ休める茶番ならよいですね。
 
そこの取捨選択です。